一般に神楽の起源は「古事記」及び「日本書紀」の中で、日本の古典に登場する天の岩屋戸の前で「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」が舞い踊ったとされる神話が定説になっています。
神楽は神座(かむくら)の音変化を語源としており、神遊(かみあそび)とも言われております。神座と呼ばれる神のより所を設けて、勧請して神々を招魂・鎮魂して、人々の穢れを祓ったり、神懸りして神や人の意志を伝えたりなどをするものが起源です。また、神楽奉納の目的は農耕民族である日本人が、日の神「天照大御神」に五穀豊穣の祈願をする意味でも奉納されてきました。
神楽には、宮中で行われる御神楽と、民間で行われる里神楽に大別されます。宮中の神事芸能で、民間の神遊びを取り込み、平安時代(貞観年間)に内侍所御神楽として完成したと云われています。
里神楽は、民間や諸社で発展した神事芸能で、神に仕える巫女が舞うことで、神を迎える「巫女神楽」があります。笠井神楽も巫女神楽に分類されておりますが、同じ大阪内に様々な団体により伝承されている巫女神楽がありますが、長い年月の伝承による喪失や、時代にあわせた編曲などにより、共通部分を残すものの、現在では大きな異なりを見せております。
神楽は、吉田家が神楽120座を編み出したのが始まりと云われており、笠井神楽には、現在は32座が伝承されています。
この伝承曲は、総称して太々神楽と呼ばれて いますが、通常の祭事では、早神楽や剣の舞、湯立て神事など5~6座程度しか 行われることはありません。
笠井神楽の代表的な活動として、石清水八幡宮の正月初詣風景の代名詞となった御神矢授与所での神楽舞や勅祭、吉田の節分祭など、神楽の奉納です。石清水八幡宮では、古来より「八幡宮大前の楽人」と呼ばれる人々が御神楽や雅楽を奉仕していましたが、明治維新の東京遷都等の変革により代わってそれ以降、笠井家の奉仕することになりました。
○太々神楽32座
岩戸開き、庭の舞、榊の舞、四方拝、和幣、早神楽、杼鍬、花の舞、胡蝶の舞、稲積、鉾の舞、扇の相舞、玉太刀、八雲、八平手、扇四方拝、大山の幸、花湯、神酒調進、剣の舞、浪速津、大海の幸、あや浦刈、神鏡、大里、鉾剣の舞、湯立て、鈴扇、山巡、仙行楽、萬歳、朝桜、日綱
里神楽 | 早神楽 | 剣の舞 | 湯立て神事 |
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